分別を捨てた先にあるモノ

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分別とは。

 

道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」

 

 大人になると分別がつきすぎて良くない。やってもいないことをやった風に、もしくはやってもこうだろう、と勝手に予測してトライしなくなってしまう。

 

だけど、実際にやってみると案外イージーだったり、楽しかったりするから思いついたことは実践してみるべきだと僕は思う。

 

僕は毎日走っている。それでもやっぱり毎日同じ道を走っていると飽きてしまうものだ。だから今朝は愛車SUBARU XVに乗って少し離れた航空公園まで出向いて走ろうと計画してみた。ここで分別の登場となる。

 

まず走ることについて。この行為は近所であってもどこであっても同じなのだから、近くを走った方が効率的だと頭をよぎる。

それから航空公園を往復する時間について。片道30分、往復1時間。これだけの時間がもったいないと考えてしまう。ガソリンも使うしな、とみみっちい思考も頭をよぎる。

最後にシャワーだ。公園で走った場合、汗をかいたあと、すぐにシャワーを浴びることができない。その不快さが嫌だなと頭をよぎる。

 

結局、非効率を嫌うあまり、近所を走ることを選択してしまうのが大人のムダな分別ってものだ。

 

だから。僕は今朝、あえてこの分別を捨てて愛車に乗り込んでみた。そして分別を捨てた先にあった答えは実に清々しく、新鮮なものだった。

 

 

①日曜日の早朝はクルマがほとんど走っていない。だから普段は30分かかる航空公園までの道のりも15分で着くことができた。信号だってほぼノンストップだ。絶対的な爽快感。

 

②日曜日早朝の航空公園は意識の高いランナーがたくさんいた。これは自身のモチベーションを上げる意味で大変刺激的で効果的。

 

③走り終えたあと、芝生に寝転んで空を見上げることができた。これはいつもの街中ランニングでは味合うことができない。

 

④気球に出会えた。なんか嬉しい。

 

総じて爽快感ばかりを享受できたということになる。分別を捨てた先には普通に生活しているだけの日常では味合うことがないできない何かがあることを知った。

 

大人になるとワクワクすることや、本当はやってみたいことなどを何かと理由をつけてあきらめてしまうことが多くなる。

だけどそれではダメだと思った。もっと僕自身がワクワクしなければいけない。だって家族の人生でもある前に、僕の人生でもあるわけだから。

分別を一つ捨てることができれば、何か新しい感情が見つかる。その感情を大切にしたら、また新しいことがやりたくなる。きっとそれを続けていくことで人生それ自体が輝きだすのかもしれない。

 

僕は今日、いつもと違う道を走る楽しさを覚えた。きっと次も新しい道を走り、また新しい発見をするのかもしれない。

もしかしたら気球に乗ることにはまって、日本全国気球の旅をしてみたい!とか言い出すのかもしれない。

分別はさっさと捨ててSUBARU XVで飛び出そう。

そして感情、直感を優先して行動していくようにしよう。